思いがけず大人の修学旅行⁈ 夏の終わりに見た景色 ~上越 城下町高田~

新潟県上越市は東京から一番近い日本海と言われるように、新幹線でささっと行かれる場所でした。雪深いイメージから夏も涼しいと勝手に思っていたのですが夏は暑いようですね。。今回は夏の終わりということもあり汗だくにはならず観光できました!(曇り空だったので写真が少々どんより気味です)。


◆ 上越妙高駅

初めて降り立った上越妙高駅、まだ新しさが残っていると思ったら2015年にできたのですね。
北陸新幹線が金沢まで延びた際に信越本線脇野田駅を隣接移転しこの新幹線の駅ができたと書かれていました。
新潟県産の木材が多く利用された和モダンスタイルです。
 


◆ 岩の原葡萄園 ワイナリーレストラン金石の音

上越妙高駅駅から車で約30分、岩の原葡萄園は明治23年(1980年)川上善兵衛により開設されました。
この方は「日本のワインぶどうの父」と呼ばれ、マスカット・ベーリーAという日本の赤ワイン代表品種を作りだしたそうです。
園内には明治時代に作られた石蔵があり、第一号石蔵は国登録有形文化財です。 ワインショップ2Fにあるレストランで地元食材を使用したランチを頂きました。
お肉も魚もあって迷いに迷いました。白ワインが好きな私は「ローズ・シオター」をチョイス。青リンゴのような~と書かれていた通り、さわやかフルーティーでとても美味しかったです♪
岩の原葡萄園


◆ 特別編集 上越市

レストランのシェフから、るるぶ特別編集版を頂きました!こちらは市民の方が制作に参加し掲載内容を決め民間企業が発行したそうです。しかも無料で配布!!大人気で入手がとても困難という大変貴重な冊子、ありがたく頂戴しました。観光ポイント、伝統文化の紹介、グルメなど魅力たっぷり紹介されています。見かけたら是非ともゲットしてください。  


◆ 高田の瞽女(ごぜ)さん

瞽女(ごぜ)さん、という方々をご存知でしょうか。私はレストランのシェフに教えてもらうまで知りませんでした。
津軽三味線の発祥のきっかけにもなったそうです。高田駅そばに「瞽女(ごぜ)ミュージアム」があると聞きさっそく訪れてみました。 瞽女(ごぜ)さんとは、昭和の高度経済成長期あたりまで活動をしていた盲目の女旅芸人さんの事です。
三味線をたずさえ語り物などを唄いながら各地を門付けして歩き、1年に300日も回っていたとの事。
その当時盲目の方は、あんまさんになるか瞽女(ごぜ)さんになるかしか選択肢がなかったそうです。尚、江戸時代には全国各地で活動されていたようです。明治以降は新潟県高田と長岡に多数存在していました。
ミュージアムは、有形文化財である町屋の「麻屋高野」を利用していて、その当時瞽女(ごぜ)さん達が暮らしていた様子を想像することができます。故 大島渚監督が撮った記録映像を見ることができ、画家 斎藤真一の描いた瞽女さんの作品も展示されています(本物です!) 高田瞽女さん達は親元を離れ師匠(親方)の家で共同生活をし、口承で伝えられた瞽女唄を身につけ旅にでて芸の報酬で生計を立てていたそうです。
訪れた先では地主や裕福な農家が無料で宿と食事を提供し、夜は村人を集め唄と語りを披露していました。娯楽の少ない時代では瞽女さんが来るのが楽しみだったようです。少し目が見える人を先頭に3名並んで歩くそうですが、舗装されていない道や雪道を行くのは想像するだけでも大変です。それでも行く先々で歓迎されれば苦労のし甲斐があったと感じたのでしょうか。。。
瞽女さんとして生き方をミュージアムの方が色々と説明下さりとても勉強になりました。
瞽女ミュージアム高田 高田瞽女の門付けを再現
 


◆ 旧今井染物屋

江戸末期に建てられた町屋です。一部補強されていますが天井の梁なども当時のままだそうです。奥には染物作業に使っていた甕や脱水機、そして土蔵などもありました。土蔵が家の中にあるのは雪国ならではの理由がありました。雁木(がんぎ)はひさしだけでなく、町屋の一部(部屋)になっていてその部屋に職人さんが寝泊まりしていたそうです。雪が積もっても通行できるこの雁木は生活の知恵ですね。 スタッフさんからはこの地域ならではの暮らし方などいろいろとお話を聞かせてもらいとても楽しかったです。雪下ろしをする日が決められているなんて知りませんでした!
旧今井染物屋
 


◆ 高田城址公園お堀の蓮

高田城址公園と聞くと桜のイメージだったので、蓮に埋め尽くされた外堀を見てとても驚きました。とにかく規模が大きくて圧巻でした。満開の時期はため息がでそうですね。 そもそもなぜ外堀に蓮?と思ったらしっかりと理由が書かれていました。戊辰戦争当時、ここ高田が新政府軍の基地となったことや、凶作で藩の財政が困窮していたため戸野目の大地主・保阪貞吉)が自身の財産を投じてハスを植えレンコンを売って窮状を救おうとしたのが始まりだそうです。レンコンは昭和37(1962)年まで採取されていたそうで、それもまた驚きです。
高田城址公園観蓮会
高田城址公園

今回、予定にはなかった瞽女(ごぜ)ミュージアムや町屋に行き、郷土史的なことを直接話を聞かせて頂き知ることができてとても勉強になりました。この歳になって聞いたからこそ感じる何かがあったのかなぁと思いました。特に瞽女さんとそれを待ちわびている農家の人たちとの暖かく緩やかな結びつきが今の時代では新鮮でしたし、何かしら学ぶことがあるのではと感じさせられました。思いがけず修学旅行のような気分になった上越の旅でした。
(スタッフY)
城下町高田