お城旅「春日山城」~「義将」上杉謙信公ゆかりの地を訪ねて

戦国の名将・上杉謙信公。神仏を深く信心し、私利私欲で戦を行わなかったため、「義将」として知られています。武田信玄公と敵対していましたが、武田領地が塩を絶たれた際には塩を送ったという逸話はよく知られています。生涯で70数回合戦に赴き、敗れたのはわずか2回だけ。その強さから「軍神」と恐れられた上杉謙信公が生まれてから没するまで過ごした上越市・春日山を旅しました。

◆ 戦国の名将「義」の武将 上杉謙信公

上杉謙信公は享禄3(1530)年、越後守護第長尾為景の末子として生まれました。7歳の時に林泉寺に入りますが、14歳で元服をして長尾景虎と名乗り、19歳で兄・晴景に代わって越後守護代になりました。春日山城を居城として越後を統一する一方、信濃・関東・北陸へ出兵します。5度に渡って武田信玄公と戦った「川中島の合戦」は有名です。永禄4(1561)年には関東管領職を譲り受け、上杉氏を名乗ることになります。関東平定・上洛に向けて歩みを進めていた謙信公ですが、天正6(1578)年、49歳の生涯を閉じました。


春日山城にある謙信像

◆ 謙信公が幼少期を過ごした寺・林泉寺

まずは「春日山城」に近い林泉寺から訪ねます。謙信公の祖父である長尾義景公が父・重景公を弔うために明応6(1497)年に建立した長尾家の菩提寺。ここで謙信公は名僧・天室光育(てんしつこういく)に文武の修業を受け、7歳から14歳まで過ごしました。謙信公がまだ「虎千代」と呼ばれた時代です。信仰心が厚い謙信公の素養はここで培われたと言われています。


惣門は春日山城から移築された門

謙信公建立の山門は江戸末期の地震により焼失しました。現在の山門は大正14(1925)年に再建されたもの。扁額の「春日山」「第一義」謙信公が揮毫したものです。(実物は宝物館で保管)


山門の扁額は謙信公の直筆(実物は宝物館)

あとを継いだ景勝公の時、上杉家が会津に移封になりますが、代わって越後城主となった堀家、高田城主の菩提所となり、厚く保護されました。

御墓所には謙信公の墓や川中島の合戦の戦死者の供養塔などがあります。樹々に囲まれて、緑豊かな場所に静かに佇んできました。謙信公は春日山城で突然倒れ、亡くなったとのこと。死因は脳溢血などの説があります。

 

◆ 謙信公をお祀りしている春日山神社

春日山の中腹にある神社です。ここまでは車で行くことができます。城跡巡りをする前に、お参りに。山形県米沢市の上杉神社より明治34(1901)年に謙信公の御霊を分霊。謙信公をご祭神としています。旧高田藩士の小川澄春が浄財を募って創建しました。日本近代童話の父と呼ばれる小川未明は澄春の長男です。


ご祭神は上杉謙信公

◆ いよいよ春日山城跡巡りへ出発

為景公・晴景公・謙信公・景勝公の4代の居城であった春日山城。標高180mの春日山に築かれた壮大な山城です。銅像脇から車道を歩いて三の丸から二の丸、本丸へ目指すルートと、神社脇から上るルートがありますが、今回は三の丸から上るルートを選択。ここからは山登りがあるのですが、売店の方によると、神社脇のルートは階段のため上りがきついので、三の丸ルートをお勧めされました。これが正解!神社脇より上ってきた方は息が切れていて、とても辛そうでした。


城巡りの前にエネルギーチャージ

◆ おせっかいガイドさんと城巡り


車道から春日城跡をスタート

車道を歩き、春日山城への入り口を探していたところ、親切な地元の方に道案内をされました。春日山城では「土の一袋運動」に協力をしている自称「おせっかいガイド」さん。春日山城の修復活動。「土の一袋運動」とは長年の風雨により土砂が流失し風雨が進んでいるため、三の丸下の小屋から一袋の土を本丸まで運ぶ運動です。おせっかいガイドさんは、元教員だったとのことで、道案内から各箇所への見どころを説明してくれました。

  • 三の丸

北条氏康の七男で、同盟締結の際に、謙信公の養子となった上杉景虎公の屋敷跡です。謙信公が自らの名を与え破格の待遇を受けていました。しかし謙信公の死後、同じく謙信公の養子となった上杉景勝との後継者争い「御館の乱(おたてのらん)」で悲運の死を遂げました。おせっかいガイドさんは、大河ドラマ「天地人」の役者さんを話に出しながら、興味深く説明してくれます。(景勝公は北村一輝さん、景虎公は玉山鉄二さん)


景虎公屋敷跡

  • 二の丸

本丸の直下にあり、本丸を帯状に囲っており、本丸警護として造られたと考えられています。台所や井戸の遺構が残されています。一本のイチョウの木があり、11月下旬から12月上旬まで見ごろを迎えるそうです。


二の丸跡

  • 本丸


本丸

いよいよ標高182mの山頂付近に築かれた本丸、天守跡に到着です。頂上は堀切で分断され、北側が本丸、南側は天守台跡となります。本丸からは日本海・頚城平野・直江津市街など大パノラマが楽しめます。本丸までは車道も含め、ずっと上り坂。山登りではありますが、見どころもあるので、そこまで大変には感じませんでした。


本丸からの大パノラマ

おせっかいガイドさんによると、見逃しがちなのが天守跡よりすぐ下った場所にある「大井戸」。廃城後、400年経っても水をたたえているそうです。春日山城が山城として最適な場所に造られていることが分かるため、必ず観てほしいとのことです。


おせっかいガイドさんのおすすめ大井戸

  • 上杉景勝公屋敷

「御館の乱」で勝利し、謙信公の後を相続した景勝公の屋敷跡。景勝公は謙信公の姉仙洞院の子です。直江兼続という知将を得て、豊臣秀吉の五大老の一人になりました。ここはアップダウンのある道を通りますので、ご注意ください。景勝向屋敷を通らずに、そのまま毘沙門堂に行くこともできます。


謙信公の跡を継いだ景勝公の屋敷跡

  • 毘沙門堂

謙信公の信仰された毘沙門天の像が安置されています。謙信公は出陣前にこのお堂で戦勝を祈願しました。毘沙門天は悪魔を降ろす神であり、謙信公は自らの軍を降魔の軍とみなし、「毘」の旗を陣頭に掲げました。


謙信公が出陣前に戦勝祈願した毘沙門堂

  • 直江屋敷

大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続のお屋敷跡です。ドラマでは妻夫木聡さんが演じていましたね。直江家は謙信公の父為景の代から重臣として使え、兼続は景勝公の家老として活躍します。


景勝公の重臣直江兼続屋敷跡

残りも見どころはありますが、春日山神社まで階段道をずっと下っていきます。「お城巡り」と簡単に考えていたのですが、「軽い登山」でした。日本海の絶景を楽しめ、緑の中を散策しながら、歴史に思いを馳せ、よい体験でした。ゆっくりとまわりましたが、1時間半ちょっとかかりました。急いでも1時間はかかると思います。私は心構えをせずに訪れてしまいましたが、これから訪れる方はちょっとした覚悟をしてくださいね(笑)また、歩きやすい靴・動きやすい靴でまわることをお勧めします。

春日山付近にはほかにも御館の乱の舞台となった「御館跡」や、上杉氏の氏神「春日神社」、春日城跡ものがたり館もあります。お時間に余裕のある方は、そちらもあわせて訪問してはいかがでしょうか。


100名城スタンプは春日山城ものがたり館でいただきました

スタッフYN

曹洞宗春日山林泉寺
上越観光Navi 春日山城跡